2008年 04月 01日
Miss You Much・・・ |
「MISS YOU MUCH LESLIE~繼續寵愛音楽會]
出遅れたが、なんとか前倒し追加公演のチケットを手に入れる。
N姐に感謝である。
張學友(芸術総監でもある)、*梁朝偉、梁詠琪、草 蜢、鄭欣宜、葉德嫻、陳松伶、莫文蔚、許志安、
蘇永康、張智霜、黄耀明、陳潔靈、陳慧嫻、辛曉琪、蘇施黃などなどの豪華主演者。
3年前の追悼コンサートも豪華ではあったが、まだ悲しみの強いものであったような
気がする。
今回はもっとひとつの舞台として、彼が残していった、そしてそれは今も人々の心に強く
残っているものを再現し、再感嘆するものであったような気がする。
私が香港という地に今こうして住んでいるのは、彼がきっかけである。
1994年2月16日、仲良しだった同期の友達が大阪に帰る前に、
「すごいいい映画が来るんだって」と誘ってくれた映画が「覇王別姫」
予備知識など何もない、中華圏の映画に触れるのもこれが初めて。
そして、どうしようもなく、頭をガツンと殴られるような衝撃を感じて、
「いったいこれはなんなのか?」と言いようもないほど魅かれた映画、そして彼。
ネットなんてなかった時代。
チラシか何かで知ったCINECITY~あの頃はまだマンションの1室であった~で
訳もわからずアルバムを買う。香港盤と台湾盤のジャケットが違うことすら知らなかった。
そして4月に初香港、確か6泊7日だったか?
熱に浮かされたように、そして何の根拠もないのに**「会うんだ!」などと夢遊病のように
徘徊する初めての香港の街。***雑誌は本屋にあると思っていたし、HMVもまだその頃には
なかったように記憶する。
そして、ほんとうに偶然にショッピング中の彼に出会ってしまい、魂を吸い取られながらも
****一緒に写真を撮ってもらった、1994年4月6日。
*****これはもう運命なんだわと、東京に戻ってすぐに広東語教室に申し込む。
日本で見れるビデオはすべて見、見るものがなくなったらリーリンチェイやジャッキーチェンの
映画にも手を出し、それも数が少ないからすぐに見終わり、あげく西本商事(今もあるのか?)で怪しいダビングビデオを買い、池袋の中華レンタル屋で20数本とか一気に週に2回は借りていた。
映画どころか、すでにテレビドラマにも手を出していたから、家のデッキは常にフル稼働、そのうち火を吹くんじゃなかろうか?というくらいに日々香港な毎日。
同じく香港にはまった例の同期の友だちとは、見たビデオの感想だとかを書いて
文通していた、文通である、すでに死語であろう。
正座をして歌の歌詞にピンインをつけたのもこの頃。
怖いくらいに寝ても冷めても香港で、あれは一種の熱病なのか?
年に4~5回、毎回1週間くらい休みを取って******聖地詣で。
働きながらよくこんな生活ができていたものであると、今なら思える。
日本に戻る飛行機がまだ香港を離陸していないにも関わらず、もう香港が恋しくなり、
あのむんっとする空気や、凍ない茶や、焼味や串ものや、人のしゃべり声が天井で
こだましてさらにやかましく感じる飲茶とか・・・・・
そして、とうとう香港に移り住んだ1999年の冬。
住んでしまえばパラダイスはパラダイスではなくなる。
そんな頃も一瞬あった。
自分はいったい何をしているのか?そう思った時期。
それでも、やっぱり香港が好きだったし、心が弱ったときには*******プロムナードで見る夜景や
トラムから見下ろす香港の町並みに元気をもらっていた。
深夜のタクシーのラジオから流れる音楽。
これを聞くとあの頃の自分を思い出し、時の流れを感じ、そして今の自分を
考える。
1994年から2008年。
あの頃、ここにまだ住んで、そしてお犬さまわらわらな日々を送るなどと
誰が想像しただろう?
ここに住むきっかけとなったのが彼であり、だから今でも彼の映画や音楽は
その頃のことを思い出させ、そして時の流れを思い少しおセンチになるのである。
かなわぬ夢は、60歳になっても紅館で妖艶に歌う彼は見れないということ・・・・・
*梁朝偉/歌うのは1日のみ。ああ!
**「会うんだ!」/いったい何の根拠でなのか?あほんだらである。でも実際会えたわけであって、願えばかなうの見本なのか?この頃はよく友達から「引きはあるのに押しがない」と言われた。実際会えてももごもごもじもじして、てんで意気地がなかったから。
***雑誌は本屋/香港では雑誌系は街のスタンドがメインであった(今はコンビニもいっぱい)
****一緒に写真を撮ってもらった/失礼にも「一緒に写真を撮ってください」といきなり申し出る。そばに立つれすおさんは無臭であった。
*****これはもう運命なんだわと/これも怖い思い込みである。ではあるが、初香港でプライベートの彼に会えるなどということは、人を有頂天にさせて当然、気が狂わなかっただけマシ。こうしてここに住んでるということは、香港に何か縁があったのであろう。
******聖地詣で/あの頃ファンの間では香港に行くことをこう言っていた。
*******プロムナード/当然アベニューオブスターズなどというものがないから、人はいても
香港とは思えないほどの静けさを感じれるところであった。
PS 西本商事、マイク103、中華城、玉朗電視、大衆電視、銀色世界、電影双週刊、
K100、HOPPY・・・これらを聞いて懐かしいと思った人はおかんと同じ穴のむじな♪
思い出にひたるおかん
遠いあの頃
懐かしいあの頃
はぁぁぁぁぁぁぁぁ
あのころの情熱
たぶん、あそこまで何かに熱中できるということはもうないかもしれない。
それはたぶん、若さということもあるけど、あのころはネットもなにもない、今から
思えば不便なころ。紙からしか情報手段がなかったし、そうそう長距離電話もかけれないから
(携帯ももちろんない)手紙を書くしかなかったし、でもそれでもほしい情報は手に入り、
やりたいと思うことはできた。
今はすぐにほしいものが手にはいる。だから「いつでもできる」と思って、逆に不精になってしまっているような気がする。
今日の六福動物指数
犬 9匹
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by jyujyu777
| 2008-04-01 05:44
| 映画 本 音楽