2008年 02月 25日
切り替え |
週末はお勉強会。
広東語、台湾国語、英語が飛び交うWORK SHOP。
こういうときいつも思うのは、香港人の語学力の高さであることよ。
程度の差はあれど、だいたいみんな英語も国語も充分に
コミュニケーションがとれるくらいのレベルはあって、しかも
瞬時に切り替えができる。
今英語でしゃべってたと思ったら、いきなり隣を向いて国語で会話
ということはまったくもっての日常ちゃめし。
今のハハにとっての第一外国語はもちろん広東語。
仕事でも日常でも広東語を使うほうがじゃぽん語よりも多い環境にある。
確かに日常で触れたり、使う機会が多ければ上達するのも早い
ということはあろう。
ではあるが、ハハは広東語を学んだのはじゃぽんであって、広東語の洪水に
埋もれることはなかった。
レッスンはトータル70回、1回のレッスンは確か45分だったか?
仕事の休みはローテーション制で、なかなか毎週いつはレッスンとできなかった。
時間の制限があったから逆に上手にやりくりしていたように思う。
毎回2レッスンを連続でとれるようにして、予習復習もテープを使って
みっちりやった。
それ以外はCDの歌詞をノートに書き取ってピンインをつけて、正座しながら
一人ででかい声でカラオケしたり、映画をテレビが爆発するんじゃないか?というくらい
見た。わからないセリフは何度も何度も巻き戻ししてわかるまで聞いたりもした。
先生がかなりいい先生だったのもあって、70回が終わるころはほぼ香港人と
楽しんで会話できるくらいにはなっていたと記憶する。
*つまり語学学習は環境第一ではないということ。
広東語の前はやはり長年習った英語が第一外国語であったわけだし
そのころはやはり普通にある程度の自分の感情を表現したり、旅行なども
問題なかったわけであるが、今じゃすっかり忘れている・・・・・・
まったく使う機会がないといういいわけはある。
せいぜいレストランでのオーダーであったり、仕事面でも頻繁には使わない。
聞き取りは恐ろしく退化しているし、ボキャもとっても貧しい状態。
ではあるが、簡単な単語で会話はできるわけだし、どう説明していいかわからないときも
なんとか違ういい回しでいいたいことを伝えようとすることはまだできるはず。
外国語=広東語でここ数年インプットされてしまってるから
どうにも英語への切り替えができないんである。
特にこういう多言語が飛び交う環境にあってはかなりつらいものがあったりする。
切り替えができないからまごつく。
そう、問題は切り替え。
頭の切り替えができないから、なかなか英語が耳にはいってこない。
ショックであることよ。
相手がネイティブかどうかというのは関係ないと思う。
ハハ的にはとってもわかりずらいわという癖のある英語も
香港人は普通に聞き取ってるし、ネイティブな人との会話だって同じように
なんの支障もなく聞き取り、返答してるではないか?
頭の構造なのか?
とにもかくにも香港人の語学能力はあっぱれ。
ここにきて英語の壁なのか?
前にはそれほど感じなかった自分の感情、考えを伝えられない焦燥感。
久しぶりである。
ということで、今年の目標のひとつは英語だな・・・・・・・
なせばなる、なさねばならぬであることよ?
でもさ、広東語学習のときはおかんもとっても若かったんだよな
という言い訳は言うまいよ・・・・
ハハの焦燥をよそに・・・・・
のほほんなあなた・・・・・
なんというかっこなのか?
日曜のお父さんでもこうまではなるまい?
人の布団で顔を拭くんじゃない・・・・
めくそをつけるんじゃない・・・・
うらやましいほどのリラックス黄黄
黄黄は何語がわかるんだろう?
いや、キミにとって語学など不要なのか?
だって、全身で己を表現してるものな・・・・・・
キミが今何を感じてるのか?
ハハにはとってもよくわかる
*つまり語学学習は環境第一ではないということ/ではあるが、香港の広東語は非常に俗語が多いし、普段の言い回しも教科書とかまったく違うものであったり、独特の言い方なんぞもあったりする。よって、より自然な会話となるとやはり日常の環境も必要な要素のひとつではある。
今日の六福動物指数
犬 9匹
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広東語、台湾国語、英語が飛び交うWORK SHOP。
こういうときいつも思うのは、香港人の語学力の高さであることよ。
程度の差はあれど、だいたいみんな英語も国語も充分に
コミュニケーションがとれるくらいのレベルはあって、しかも
瞬時に切り替えができる。
今英語でしゃべってたと思ったら、いきなり隣を向いて国語で会話
ということはまったくもっての日常ちゃめし。
今のハハにとっての第一外国語はもちろん広東語。
仕事でも日常でも広東語を使うほうがじゃぽん語よりも多い環境にある。
確かに日常で触れたり、使う機会が多ければ上達するのも早い
ということはあろう。
ではあるが、ハハは広東語を学んだのはじゃぽんであって、広東語の洪水に
埋もれることはなかった。
レッスンはトータル70回、1回のレッスンは確か45分だったか?
仕事の休みはローテーション制で、なかなか毎週いつはレッスンとできなかった。
時間の制限があったから逆に上手にやりくりしていたように思う。
毎回2レッスンを連続でとれるようにして、予習復習もテープを使って
みっちりやった。
それ以外はCDの歌詞をノートに書き取ってピンインをつけて、正座しながら
一人ででかい声でカラオケしたり、映画をテレビが爆発するんじゃないか?というくらい
見た。わからないセリフは何度も何度も巻き戻ししてわかるまで聞いたりもした。
先生がかなりいい先生だったのもあって、70回が終わるころはほぼ香港人と
楽しんで会話できるくらいにはなっていたと記憶する。
*つまり語学学習は環境第一ではないということ。
広東語の前はやはり長年習った英語が第一外国語であったわけだし
そのころはやはり普通にある程度の自分の感情を表現したり、旅行なども
問題なかったわけであるが、今じゃすっかり忘れている・・・・・・
まったく使う機会がないといういいわけはある。
せいぜいレストランでのオーダーであったり、仕事面でも頻繁には使わない。
聞き取りは恐ろしく退化しているし、ボキャもとっても貧しい状態。
ではあるが、簡単な単語で会話はできるわけだし、どう説明していいかわからないときも
なんとか違ういい回しでいいたいことを伝えようとすることはまだできるはず。
外国語=広東語でここ数年インプットされてしまってるから
どうにも英語への切り替えができないんである。
特にこういう多言語が飛び交う環境にあってはかなりつらいものがあったりする。
切り替えができないからまごつく。
そう、問題は切り替え。
頭の切り替えができないから、なかなか英語が耳にはいってこない。
ショックであることよ。
相手がネイティブかどうかというのは関係ないと思う。
ハハ的にはとってもわかりずらいわという癖のある英語も
香港人は普通に聞き取ってるし、ネイティブな人との会話だって同じように
なんの支障もなく聞き取り、返答してるではないか?
頭の構造なのか?
とにもかくにも香港人の語学能力はあっぱれ。
ここにきて英語の壁なのか?
前にはそれほど感じなかった自分の感情、考えを伝えられない焦燥感。
久しぶりである。
ということで、今年の目標のひとつは英語だな・・・・・・・
なせばなる、なさねばならぬであることよ?
でもさ、広東語学習のときはおかんもとっても若かったんだよな
という言い訳は言うまいよ・・・・
ハハの焦燥をよそに・・・・・
のほほんなあなた・・・・・
なんというかっこなのか?
日曜のお父さんでもこうまではなるまい?
人の布団で顔を拭くんじゃない・・・・
めくそをつけるんじゃない・・・・
うらやましいほどのリラックス黄黄
黄黄は何語がわかるんだろう?
いや、キミにとって語学など不要なのか?
だって、全身で己を表現してるものな・・・・・・
キミが今何を感じてるのか?
ハハにはとってもよくわかる
*つまり語学学習は環境第一ではないということ/ではあるが、香港の広東語は非常に俗語が多いし、普段の言い回しも教科書とかまったく違うものであったり、独特の言い方なんぞもあったりする。よって、より自然な会話となるとやはり日常の環境も必要な要素のひとつではある。
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by jyujyu777
| 2008-02-25 15:14
| おかんのつぶやき