2013年 01月 29日
老い・・ということ |
死は避けることのできないもの。
生まれてくるときもひとりならば、旅立つときもひとり。
持って行けるのは、感動や、美しく、楽しかった思い出だけ。
老いてから捨てられるという子は少なくない。
どうしてだろう?
飼い主さんが亡くなったなど特殊な事情を除いて、こればっかりはどうしても理解ができない。
だからといって、若ければ放棄してもいいのか・・というわけではもちろんない。
ぱぴのころ、お犬盛りのころ、それぞれの段階でそれぞれの魅力がある。
そして、実際の年齢ではなく、「ああ、老いたな・・・」と感じるときがくる。
それはちょっぴり切なくて、鼻の奥がつーんとなる。
でも、それまで一緒に過ごしてきた日々、積み重ねてきたお互いの人生、犬生の
交わりを思うと、なんだかとっても誇らしいような、なんともいえない愛しさが増す。
人間だって、耳も眼も悪くなる。
足腰も今までと同じようにはいかないし、粗相だってする。
大切なのは、どうしたら快適に過ごさせてあげれるか・・ということ。
粗相をしたら、汚れた床を拭けばいい。
床よりも、お犬の体が汚れていないか?そのほうが大切。
シャンプーだって、若いころとは違って体力的にしんどい子もいる。
拭けばいいくらいのものなら、それでいいけど、そうじゃない場合はそうそう毎回
洗ってあげるのは酷というもの。
身体は汚れていないか、濡れたところですべったりしないか?
どうかどうか*長時間ケージに閉じ込めないで・・・・・
犬は清潔な動物。
**排泄物のそばでどうして休めよう?
狭いケージの中で過ごす怖さにストレス。
そして、老いた子の場合は、動きを制限されることによりさらに足腰の老いが進んでしまう。
なによりも精神的なダメージは大きい。
その生涯の中で、どの段階もかけがえのないもの。
でも、その中でやっぱり最後のステージというのは特別なものだとも思う。
ここで心も手も抜いてしまうと、今でのことまですべてだいなしになる・・・そんな感じさえする。
(もちろん、老いてから大事にしたら、それまではいいのかという話では断じてない)
介護の場合は、絶対に家族の協力がいる。
体力もいるし、気力もいる。それはもうきれいごとではなく、まず体のほうから
ダメージがやってくる。
だから、無理なくケアをしてあげるために、家族みんなの協力がいる。
「かいわがっているよ」と、
なでたり、話しかけたりするだけなく、食事の世話、薬、トイレ・・・・そうした実際の日々のケアを
みんなができるようにしておくこと。
そして、何よりも大切なのは、みんな明るい心でいること。
そう、かわいいから、愛しているから心配になり、心が痛む。
でも、そこで泣いたり、沈んだままで接してはいけない。
「かわいそうだ、かわいそうだ」と悲観し続けるだけ・・・それは軸がぶれて
己のエゴに逃避していること。
愛しているからこそ、
痛みがあるならば、「痛いよね、かわいそうに・・・」と悲しむのではなく、痛みがとれること、軽くなることを願い、
どうしたらいいかを考える。
食事が進まぬならば、「このままじゃだめじゃない・・」と悲観するのではなく、どうすれば、なんの食材なら食欲がわくか、食べやすいかと考える。
どうしたらもっと快適に過ごさせてあげれるか。
飼い主の情緒はダイレクトにその子に伝わる。
弱っている子の場合はなおさら。
そして、そうした負の思いというのは、家や家具、その空間にもこびりつく。
だから、絶対に飼い主は穏やかに、明るくいなければならない。
そう、絶対に。
難しいときもあるかもしれないけど、でもその子のためならば
案外、落ち込み気分も、お犬のようにぶるんとひと振いしちゃえるものである。
親は強くなくちゃいけない。
そしてほんとうの「愛」というものは、強さが必要なものなのである。
転寝黄黄ちゃん
ぬぉぉぉ、かわいいなぁぁぁぁぁ
あああ、うっとり
愛しきものよ・・・・・
*長時間ケージに閉じ込めないで/もちろん、ヘルニアなどや大手術のあとで
なるべく激しく動かさないようにしなければならないときなどは別。
**排泄物のそばでどうして休めよう?/ショップの子とか、長時間そこにいれられている子がしている
場合・・・・それは「ケージの中でできる」のではなく「仕方なく」しているということである。
我慢にも限界があるし、そうせざるえない状態だから・・・である。
今日の六福動物指数
犬 7匹
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生まれてくるときもひとりならば、旅立つときもひとり。
持って行けるのは、感動や、美しく、楽しかった思い出だけ。
老いてから捨てられるという子は少なくない。
どうしてだろう?
飼い主さんが亡くなったなど特殊な事情を除いて、こればっかりはどうしても理解ができない。
だからといって、若ければ放棄してもいいのか・・というわけではもちろんない。
ぱぴのころ、お犬盛りのころ、それぞれの段階でそれぞれの魅力がある。
そして、実際の年齢ではなく、「ああ、老いたな・・・」と感じるときがくる。
それはちょっぴり切なくて、鼻の奥がつーんとなる。
でも、それまで一緒に過ごしてきた日々、積み重ねてきたお互いの人生、犬生の
交わりを思うと、なんだかとっても誇らしいような、なんともいえない愛しさが増す。
人間だって、耳も眼も悪くなる。
足腰も今までと同じようにはいかないし、粗相だってする。
大切なのは、どうしたら快適に過ごさせてあげれるか・・ということ。
粗相をしたら、汚れた床を拭けばいい。
床よりも、お犬の体が汚れていないか?そのほうが大切。
シャンプーだって、若いころとは違って体力的にしんどい子もいる。
拭けばいいくらいのものなら、それでいいけど、そうじゃない場合はそうそう毎回
洗ってあげるのは酷というもの。
身体は汚れていないか、濡れたところですべったりしないか?
どうかどうか*長時間ケージに閉じ込めないで・・・・・
犬は清潔な動物。
**排泄物のそばでどうして休めよう?
狭いケージの中で過ごす怖さにストレス。
そして、老いた子の場合は、動きを制限されることによりさらに足腰の老いが進んでしまう。
なによりも精神的なダメージは大きい。
その生涯の中で、どの段階もかけがえのないもの。
でも、その中でやっぱり最後のステージというのは特別なものだとも思う。
ここで心も手も抜いてしまうと、今でのことまですべてだいなしになる・・・そんな感じさえする。
(もちろん、老いてから大事にしたら、それまではいいのかという話では断じてない)
介護の場合は、絶対に家族の協力がいる。
体力もいるし、気力もいる。それはもうきれいごとではなく、まず体のほうから
ダメージがやってくる。
だから、無理なくケアをしてあげるために、家族みんなの協力がいる。
「かいわがっているよ」と、
なでたり、話しかけたりするだけなく、食事の世話、薬、トイレ・・・・そうした実際の日々のケアを
みんなができるようにしておくこと。
そして、何よりも大切なのは、みんな明るい心でいること。
そう、かわいいから、愛しているから心配になり、心が痛む。
でも、そこで泣いたり、沈んだままで接してはいけない。
「かわいそうだ、かわいそうだ」と悲観し続けるだけ・・・それは軸がぶれて
己のエゴに逃避していること。
愛しているからこそ、
痛みがあるならば、「痛いよね、かわいそうに・・・」と悲しむのではなく、痛みがとれること、軽くなることを願い、
どうしたらいいかを考える。
食事が進まぬならば、「このままじゃだめじゃない・・」と悲観するのではなく、どうすれば、なんの食材なら食欲がわくか、食べやすいかと考える。
どうしたらもっと快適に過ごさせてあげれるか。
飼い主の情緒はダイレクトにその子に伝わる。
弱っている子の場合はなおさら。
そして、そうした負の思いというのは、家や家具、その空間にもこびりつく。
だから、絶対に飼い主は穏やかに、明るくいなければならない。
そう、絶対に。
難しいときもあるかもしれないけど、でもその子のためならば
案外、落ち込み気分も、お犬のようにぶるんとひと振いしちゃえるものである。
親は強くなくちゃいけない。
そしてほんとうの「愛」というものは、強さが必要なものなのである。
転寝黄黄ちゃん
ぬぉぉぉ、かわいいなぁぁぁぁぁ
あああ、うっとり
愛しきものよ・・・・・
*長時間ケージに閉じ込めないで/もちろん、ヘルニアなどや大手術のあとで
なるべく激しく動かさないようにしなければならないときなどは別。
**排泄物のそばでどうして休めよう?/ショップの子とか、長時間そこにいれられている子がしている
場合・・・・それは「ケージの中でできる」のではなく「仕方なく」しているということである。
我慢にも限界があるし、そうせざるえない状態だから・・・である。
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by jyujyu777
| 2013-01-29 18:58
| ANIMAL WELFARE