2012年 04月 04日
心配から生まれるもの |
ご褒美のようなイースター休暇。
特にぽこっと週中にお休みがあるというのはうれしいものである。
リフレッシュリフレッシュ。
はっちゅうくん。
食事への好奇心はすばらしい。
さっきまでべちべち歩いていたのが、カサカサと食卓で音がすると
小走りまでしてやってくる!
全体的にはよい感じになってきて、一番悪いところに集中してヒーリングできるようになったのも
ええ感じ。
あとちょっと!
ここ数年で肝から学んだもの。
それは「自分の望むべきものに意識を向けること」
愛する、大切なお子であるから、今回の件も「#&(@#!!!!!」と一瞬心が
うわ~~~~っとはなったわけである。
けれど、まず何をすべきなのか?
「心配」?それはもう心配どころか、心痛である。
が、概して人間というのは悪いほうへ考えてしまいがちである。
心配から「もしかして・・・・」
「もし・・・だったらどうしよう?」
そして、そうした考えの伝染力というのは恐ろしく早く、深く根強くなってくる。
が、そこから生まれるものは何か?
望まない状態になぜ大切なエネルギーを使うのか?
だからこそ、余計に
「どうすれば快適に過ごせるか?」
「どこが痛いのか?マッサージもあわせてしてあげたほうがいいか?」
「ラグの位置はここでいいか?」
そうした、良い方向へ向かうことにエネルギーを思考を使う。
「絶対によくなる」、そこに焦点をあわせるだけである。
愛するからこそ心配するわけで、だからこそその「心配で心配でもう・・・」というところから
早く脱却するのである。
食事をしない子がいる。
「食べてくれない。食べてくれないと元気になれない・・・もしこのままいったら・・・」と思うのではなく、「何ならこの子の食欲を刺激できるかしら?」「何の食べ物はこの子にとってよいものになるかしら?」ということに集中するのである。
免疫の問題のある子だったら、もしも何かあったら・・・と心配するのではなく、
「風邪でも引かれたら、免疫が下がって・・・あああ」と先の起こってもいないことを心配するよりも、免疫をあげる食事はどうしたものか?
家の空間は居心地がいいか?そうしたことに心を配るわけである。
鼻血を出してる人がいたら、どうしようとうろたえるのではなく、まずはティッシュか!あと休める場所は?横になれるとこは?まずは椅子に座ったほうがいい?などと冷静に動くこと。
言葉にすると、ほんのちょっとの違いのようにしか感じられないかもしれないけど、
実際のパワーとしてはものすごく変わってくる。
怒りにしろ、何にしろ、いわゆるネガティブな感情というのはどうしても浮かんでしまうもの。
特にこうした愛するものに関することは、どうしても心痛くなるし、「あああ、心配!」「どうしましょう」と
私も一瞬思ってしまうわけである。
が、その感情も数秒くらいで終わらせることができるようになった。
負の感情が湧き上がってきたら、早くそこから抜け出すこと。
今すべきことは何か?
たとえば突然激昂する人のエネルギーね、これものすごく強烈で、まさしくこちらまで
刺されてしまうほどで、かなりの破壊力があるということを、己の眼で見たときは
心底びっくりしたものである。
心配から来る暗いほう暗いほうへいく考え。それはここまで強烈に周りを襲わないけど、
じわりじわりとやってきて、思いじっとりとしたエネルギーを蓄積していくような感じ。
心配という状況にパワーを使わないこと。
どうすればよくなるか・・・そこに焦点を合わす。
愛からくる心配。その地点からどちらの方角に向かうのか?
愛か、恐れか?
ハンドルの切り替えしは早ければ早いほうがいい。
とか、えらそうに書いたけど
黄黄ちゃん・・・・・
なんというか、あなた・・・・・
大丈夫?
あまりの弛緩ぶり・・・かーさんやっぱりちょっと心配よ・・・・・
今日の六福動物指数
犬 7匹
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特にぽこっと週中にお休みがあるというのはうれしいものである。
リフレッシュリフレッシュ。
はっちゅうくん。
食事への好奇心はすばらしい。
さっきまでべちべち歩いていたのが、カサカサと食卓で音がすると
小走りまでしてやってくる!
全体的にはよい感じになってきて、一番悪いところに集中してヒーリングできるようになったのも
ええ感じ。
あとちょっと!
ここ数年で肝から学んだもの。
それは「自分の望むべきものに意識を向けること」
愛する、大切なお子であるから、今回の件も「#&(@#!!!!!」と一瞬心が
うわ~~~~っとはなったわけである。
けれど、まず何をすべきなのか?
「心配」?それはもう心配どころか、心痛である。
が、概して人間というのは悪いほうへ考えてしまいがちである。
心配から「もしかして・・・・」
「もし・・・だったらどうしよう?」
そして、そうした考えの伝染力というのは恐ろしく早く、深く根強くなってくる。
が、そこから生まれるものは何か?
望まない状態になぜ大切なエネルギーを使うのか?
だからこそ、余計に
「どうすれば快適に過ごせるか?」
「どこが痛いのか?マッサージもあわせてしてあげたほうがいいか?」
「ラグの位置はここでいいか?」
そうした、良い方向へ向かうことにエネルギーを思考を使う。
「絶対によくなる」、そこに焦点をあわせるだけである。
愛するからこそ心配するわけで、だからこそその「心配で心配でもう・・・」というところから
早く脱却するのである。
食事をしない子がいる。
「食べてくれない。食べてくれないと元気になれない・・・もしこのままいったら・・・」と思うのではなく、「何ならこの子の食欲を刺激できるかしら?」「何の食べ物はこの子にとってよいものになるかしら?」ということに集中するのである。
免疫の問題のある子だったら、もしも何かあったら・・・と心配するのではなく、
「風邪でも引かれたら、免疫が下がって・・・あああ」と先の起こってもいないことを心配するよりも、免疫をあげる食事はどうしたものか?
家の空間は居心地がいいか?そうしたことに心を配るわけである。
鼻血を出してる人がいたら、どうしようとうろたえるのではなく、まずはティッシュか!あと休める場所は?横になれるとこは?まずは椅子に座ったほうがいい?などと冷静に動くこと。
言葉にすると、ほんのちょっとの違いのようにしか感じられないかもしれないけど、
実際のパワーとしてはものすごく変わってくる。
怒りにしろ、何にしろ、いわゆるネガティブな感情というのはどうしても浮かんでしまうもの。
特にこうした愛するものに関することは、どうしても心痛くなるし、「あああ、心配!」「どうしましょう」と
私も一瞬思ってしまうわけである。
が、その感情も数秒くらいで終わらせることができるようになった。
負の感情が湧き上がってきたら、早くそこから抜け出すこと。
今すべきことは何か?
たとえば突然激昂する人のエネルギーね、これものすごく強烈で、まさしくこちらまで
刺されてしまうほどで、かなりの破壊力があるということを、己の眼で見たときは
心底びっくりしたものである。
心配から来る暗いほう暗いほうへいく考え。それはここまで強烈に周りを襲わないけど、
じわりじわりとやってきて、思いじっとりとしたエネルギーを蓄積していくような感じ。
心配という状況にパワーを使わないこと。
どうすればよくなるか・・・そこに焦点を合わす。
愛からくる心配。その地点からどちらの方角に向かうのか?
愛か、恐れか?
ハンドルの切り替えしは早ければ早いほうがいい。
とか、えらそうに書いたけど
黄黄ちゃん・・・・・
なんというか、あなた・・・・・
大丈夫?
あまりの弛緩ぶり・・・かーさんやっぱりちょっと心配よ・・・・・
今日の六福動物指数
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by jyujyu777
| 2012-04-04 17:48
| 同甘共苦